2011年04月30日

4/27東京新聞に復興小関連記事

ゴールデンウィークに突入ですね。
みなさまどうお過ごしでしょうか。

さて、地震直後に気になって用事のついでに泰明小を見に行き
(外観だけですが)全く変わりなくそこに建っていたのを見て
また、明正小学校に行った方のお話を聞いても全く被害なしとのことでしたので
「やっぱりすごいぞ復興小!」と、内心軽くガッツポーズでした。
しかし東北で甚大な被害が出て、また東京でも
地震による被害者はいらっしゃいましたので
地震直後に言うべきではない話題かなと、泰明の様子だけを写真付きで
ツイッターでつぶやくのみにしておりましたが
復興小問題をずっと追いかけてくださっている東京新聞が
記事にしてくださったとの連絡を受けたのでご紹介です。

以下抜粋
「東京都内には、関東大震災後の帝都復興事業で建てられた学校や
公共施設、橋などが今も残る。いずれも築80年前後の古い建造物だが、
東日本大震災による震度5強の地震でも、びくともしなかった。
当時の最新の技術が結集された『復興建築』群から、学ぶべきことは。」

「中央区では昨年、復興小の代表例で『国の重要文化財(重文)級』
とされた区立明石小が解体され、住民の反発を招いた。
『研究会』メンバーの大橋智子さんは『震災後、国の未来を真剣に考えた
人たちの流した汗の跡として、復興小は
未来に受け渡されなければならない』と語る。」

全文はこちらから!
東京新聞110427.pdf

先日両国にある「震災復興記念館」に行って参りましたが、
ここには関東大震災の資料が展示してあります。
関東大震災は、このたびの震災のような
津波被害よりも火災被害が多かったようで、
この記念館が建つ場所(かつての被服廠跡)で
実に3万8千という大勢の方々が焼け死んだそうです。
焼け野原の写真もありました。文字通り、何もない焦土でした。
ここから、あれだけの数の小学校、橋、多くの頑丈な建物、市場を建てて
戦災でも壊れず残り、またこのたびの地震でも全く被害がないとは。

これらを見ていると思うのです。
東北の復興も、必ずできる、かつてこうして
お手本を見せてくれた人たちがいるんだから、と。
もちろん、津波と火災だと違うと思いますけれども私が言いたいのは
ガッツの問題です。
こうした先人のガッツが形になって残っているというのは
これからの復興にも糧となるのではないでしょうか?

これからもメンテナンスさえしっかりすれば、きっと復興建築たちは
災害時にも頼れる存在でい続けてくれるはずです。
この地震をきっかけに、復興建築や古いけれど危険ではない建物まで
見境なく壊されたりすることがありませんように。
posted by 中村 at 02:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 明石建て替え関連情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

被災地石巻のスレートを東京駅に!

お久しぶりでございます。
そしてまた復興小学校と違う話題ですみません。
でも恐らくいま、全日本国民が興味のある話題とも関連しています。
ご勘弁くださいませ。

みなさま、東京駅の復原修復が決まったのはご存じでいらっしゃいますよね?
このスレート(屋根の瓦)が、被災地石巻市雄勝町や登米市産だったのはご存知でしたか?
私も教えてもらって初めて知ったのです。
結束して発送する直前だったスレートが津波被害で汚れたため、スペインに発注するとか。
事実確認をする時間も惜しいので、もしも違ったらお詫びいたしますが
少なくとも下記要望書が提出されるのは確実なようです。
どうぞご一読ください。そして、もしもご賛同いただけるようでしたら
akashihozon@gmail.com まで
お名前とご住所をメール
いただけましたら、
私が責任もって纏めて代表者にお送りいたします。
もちろん個人情報保護法は順守いたします。

「 東京駅赤煉瓦駅舎の屋根のスレートについて

赤レンガの東京駅を愛する市民の会

事務局長 前野 まさる 


東日本旅客鉄道株式会社

社長 清野  智 様

拝啓 このたびの東日本大震災では、首都と被災地を結ぶ東日本の大動脈である東北新幹線および管内の鉄道網に甚大な被害を被りましたことに対し、心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復旧を願ってやみません。

さて、現在、復原修復工事が進められております東京駅赤煉瓦駅舎は、来春の竣工に向けて、工事が急ピッチで進められていると承知しております。復原される駅舎三階には、今回の東日本大震災で大きな被害のあった石巻市雄勝町や登米市産のスレートが使われるとのことで、地元の方々には復興のシンボルとして大きな希望を与えるものと確信をしておりました。

ところが、漏れ聞くところによりますと、結束して発送する直前だったスレートは津波被害で汚れたため、急遽、スペイン産のものを使うとのことを伺いました。汚れたとはいえ、今回最も被害が大きかった津波災害の中、地元の方々が自宅や工場が流出するのも顧みず、高台へ運んでくださったスレートで、戦後の修復の際に使われた登米産や雄勝産をなんとか伝えたいと守ったものです。日本の 文化財修復では、建築の遺伝子をもつ当初材などを尊重するのが原則であり、以前の材料をできるだけ使うのは当 然です。

何とか、登米産及び雄勝産のスレートを使い、文化財修復の基本を踏まえるとともに、東日本大震災の復興のシンボルとして、被災された方々が将来への希望をもてるようにしてください。

私ども、汚れたスレートは被災地復興のために、ボランティアを動員して洗浄したいと考えており、御社とともに東日本復興の力になりたいと思います。

是非とも再考をお願い申し上げます。 」


東京駅赤煉瓦駅舎の屋根のスレートについて

明石小学校の保存を望む会は、被災地と被災地の文化・技術を応援しています!
個人的にはスレート洗浄ボランティアも希望してます!

posted by 中村 at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 明石建て替え関連情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月26日

「時の話題」近代建築総覧をめぐって

本日のNHKラジオ第一の「時の話題」です。

近代建築の保存‐『日本近代建築総覧』をめぐって

 赤レンガのJR東京駅舎は明治時代に建てられた当初の姿に戻す復原工事が
すすめられていますが、その一方で関東大震災の後に建てられた
復興小学校や東京中央郵便局は、保存のあり方をめぐって
大きな問題を投げかけました。

 きょうは、都市の記憶を将来に伝えていく上で大きな役割を果たす
近代建築の保存の問題について毛利和雄解説委員に聞きます。

 

 Q1 近代建築の保存の問題、何度か取り上げていますが、きょうは何の話題ですか?

 A1 近代建築の調査と保存の話です。

東京中央区は七つの復興小学校の内、国の重要文化財級の明石小学校を
建て替えのために校舎を取り壊すことになりましたが、
常盤小学校と泰明小学校は保存再生できないか検討するとの方針を
打ち出し、明暗を分ける形となりそうです。

 残すことを検討する二つの小学校は、東京都の歴史的建造物に
選ばれていることがその根拠と見られますが、東京都が選んだ理由は
『日本近代建築総覧』で「おすすめ建物」だとして
二つとも○がつけられており、もう一方の明石小学校は
ノーマークなのが理由になっているものと見られています。

 Q2 同じ復興小学校でも明暗を分けることになった原因を
つくったかもしれないというというその『近代建築総覧』
というのは、どう言う本ですか?

 A2 『日本近代建築総覧』というのは、全国各地にある近代建築、
つまり幕末や明治以降に建てられた建築を調査して
作ったリストなのです。その本がまとめられて、
今年で30年を迎えるのを記念し、近代建築に関する研究史を
振り返ってみようというシンポジウムが、
おととい東京で開かれたので行ってきました。

 Q3 近代建築が重要であるという動きが出てきたのはいつ頃からですか?

 A3 赤坂離宮とか国立博物館のように政府が建てた
公共建物は別格ですが、民間の建物では長崎のグラバー邸とか
神戸の異人館などの調査を基に「全国明治洋風建築リスト」が
1960年代に作られ、それが発展していく形で
『日本近代建築総覧』がまとまるのが1980年です。

 その『建築総覧』では、全国でおよそ1万3千件の
建物がリストアップされ、そのうち3千件ほどに
「おすすめ品」として○がつけられています。
そのことが、同じ復興小学校でも明暗を分ける結果を
招いたとも言えますが、『建築総覧』を作る際に
きちんとした調査をせずに○をつけると問題が
おこるのではないかという反対意見もあったということです。

事前のランク付けは重要なものを残すためにやるのですが、
開発する側の安易な判断を招きやすくなるという
難しい問題も抱えています。

 Q4 近代建築の保存運動としては、
どのようなものがあったのでしょうか?

 A4 早い方では、東京でフランク・ロイド・ライトが
設計した帝国ホテルや丸ノ内にある三菱一号館の保存問題は
有名です。1968年、69年頃のことです。    

帝国ホテルは、結局建て替えられ一部が愛知県にある
明治村に移転されました。また三菱一号館の方も、
壊されてしまいましたが、40年立ってまったく同じ建物を復元し、
美術館として今年の4月にオープンしました。
40年前は壊した方が経済性に合うと判断したのに、
今度は高層の建物の新築とともに復元する方が
企業イメージがアップし、経済性にも見合うということ
ですから世の中も変わってきたものだとつくづく感じます。

 Q5 近代建築に関する評価も変わってきたということですが、
それは何時頃からのことですか?

 A5 国鉄がふる里路線のディスカバージャパンの
キャンペーンを始めたのが1970年ですが、
昔からの町並みを保存しようという伝統的建造物群保存制度が
1975年に作られます。中山道の宿場町妻籠など
近世に栄えた町並みを伝えているところが多く
選ばれていますが、神戸の異人館街のように
近代になって出来上がった町並みも対象になっています。

神戸の異人館街は1981年に重要伝統的建造物群保存地区に
選ばれましたが、その頃から建物は単体として
価値を評価するだけではなく、周りの環境の中で
評価すべきというふうに学会の考え方も変わってきました。
つまり洋風の建物が一軒だけあるよりも、
何軒もまとまった洋館街という景観の中にある方が、
より価値が増すということです。
景観と建物の兼ね合いが大切なのは
ヨーロッパに旅行して美しい町並みを見みれば、
すぐに分かりますが、ヨーロッパまでいかなくても、
東大寺や春日大社などがある奈良公園の一角にある
奈良国立博物館を訪ねれば、明治健築が古都
奈良になじんでいることが分かります。
奈良博では今、正倉院展が開かれており、
私も今年は久しぶりに正倉院展を見に行ってきました。

 それにつけましても東京中央区の明石小学校の場合は、
周りは聖路加病院、築地教会があり慶応大学、
立教大学などの発祥の地という歴史的環境に恵まれたところだけに、
学校建築に大きな足跡を残した復興小学校の校舎が残ること
になっていればと悔まれます。

 都市の記憶を将来に伝えていく上で
重要な近代建築の公共建物をどのようにして
保存していくか大きな課題です。

posted by 中村 at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 明石建て替え関連情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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